OLD midroom

こんな状況の中でも、私は頑張って働いていました。 何故なら、新宿店がオープンして3年目に入りやっと(売上の)数字も、認知度もあがってきて、今度は、新宿の2倍に近い広さで横浜に2号店をオープンすることが決まったからです。 また、この時の細かいオペレーションや、レセプションのやり方、宣伝方法などが、今度は、日本側の主導で決めてもいいということになりました。もちろん、個人的にはかなり落ち込んでいた時もありましたが、それ以上に私の中では、今度は自分達で何でも決めれる、N.Y.本社に提案できる事で、やる気も満々、会社全体も一致団結し、皆の心も一つになってきていました。たぶん、合弁会社で働いた方であれば、...

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こうして、私はめでたく、バーニーズ ニューヨークの第一号店オープニングスタッフになり、今までとは比べものにならないような日々がスタートしました。 何が大変かというと、まずは言葉の問題。自分では英語が話せる、書ける、読めると思っていたのに、これが仕事となると求められることも、早さも全然違っていて、その頃の私の能力では到底無理でした。言いたい事があるのに、それをきちんと分かりやすく伝えることが出来ない悔しさ、また12時間の時差によるコミュニケーションを即、取れないもどかしさ。また、本国が何でも決めるので、自分の居場所、自分のいる価値の無さなど、私って単なる窓口の役だけにいるのかしらという苛立ち。本...

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このNYのバーニーズのお店を見た衝撃 を胸に、毎日働いていました。 そんな、私にとてもラッキーな新聞記事が飛び込んできました。 それは、バーニーズと伊勢丹との業務提携そして、日本での1号店オープン。何だかそわそわ、ドキドキしてきて、これは誰かに聞いてもっと詳しい内容を知りたいと熱望するようになりました。でも、私の中ではまだ転職をしたいとか、メルローズを辞めてでも行きたいとか、そこまで具体的ではありませんでした。何故なら、とてもいい環境で働いていましたし、今から10年以上前でしたので、転職というのがあまりメジャーではありませんでした。もちろんそれによって成功した人もたくさんにいたとは思いますが、...

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こんな感じで、わがまま放題で働きだした30代はじめ。 お給料も人並み以上にもらい、いろいろな所では会社の知名度も上がり、むかうところ敵なしのような時期を過ごしはじめた私は、その頃はやりのキャリアウーマン気取りでした。 良いのか悪いのかは別として、本当に24時間仕事のことを中心に生活していましたし、常に仕事に役立つ物、場所、本、音楽といくら時間があってもたりない日々。ですから、もちろん家のことは一番最後になっていて、だんな様とのコミュニケーションもかなり少ない感じでした。(今頃、反省してもだめですね・・。) 自分は一人ではないのに一人で生きているような強気の感じで、毎日ぶりぶり、つっぱって生活し...

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20代の頃に考えていたこと の続き・・・。こんな、中途半端だった私ですが、30代になるかならないころに会社の中で、確か主任か係長の肩書きが名刺につきました。 そうしたとたん、何故か自分に対する周りのみんなの接し方が変わってきたように感じました。 今までの良いコちゃんから、仕事をひとりでも任せられる自立した感じ。YESだけではなくNOと言っても許される自由。何人かの部下も出来、内外ともに采配を振るう機会も増え、やっと自分の足で歩きだし、立てた感じでした。会社の中でも偉い人たちの意見をじかに聞くような会議にも参加できましたし、それによって自分の耳で会社の今後や将来も聞くことで今何をしなくてはならな...

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ここまで何回か書いてみましたが、私の20代は本当に問題意識や目的意識を持たず、流されるままに毎日を過ごしていた感じでした。 毎日の作業に終われ、また処理に時間を費やし朝から晩までバタバタ動き回っているだけの仕事。クリエィティブなんてとても考えられる状況ではなかったとおもいます。そして、それがとても恐くて休みの日には美術館めぐりをしたり、洋書屋さんをのぞいたり、少しでももの作りに近い所にいなくてはと考えていました。また、面白いと誰かに言われればその映画を観に行ったり、楽しかったと聞けばコンサートに出かけたりと知らないというが怖くて、必死に過ごしていました。新しいレストランめぐりやディスコもこれも...

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20代で考えていたこと。2の続き。 そのころ私は結婚し働くことをしばらく中断しのんびり暮らすことを選びました。幸いにも彼はかなり年が上でしたので、しばらくは優雅でのんびりした時間を過ごすことが出来ました。 でも、やはり働きたい気持ちは抑えられずわずか3ヶ月も休まずに、私はまた新聞求人欄を見始めるようになりました。そして、そのころ一番好きだったし身近にあったブランドのメルローズで、販促係募集の記事を発見し、またまた履歴書を送ってしまいました。今度は前回よりも、ほんの少しですがやって来た事も話せましたし、自分が好きだからここで働きたいということも伝えられることが出来ました。会社の方もとても若くて元...

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前回、私の最初の仕事について書きましたが、実際このころの私は本当に何も出来ないし、まだどのようになろうかと考える余裕も、やる気もない感じでした。そのうえ、一年経ったときにこの担当していた番組がなくなってしまい、仕事がない状況になりました。他の方々はタレント事務所に所属していたり、モデルさんだったりしましたので番組がひとつ終ることは、よくある感じだったと思いますが、私はその番組契約の社員でしたのでこれがなくなるということは、明日からどうすれば良いのかと悩んでもいました。 そんな中、タレント事務所のお誘いがなかった訳ではありませんでした(一応、1年間テレビに出演していたからでしょうか・・)。しかし...

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今回から、働き始めた22才ぐらいから今に至るまでのことを少しづつ思いだしながら書いてみようと思います。そもそも、私が大学を卒業したころは第2次オイルショックのころ、しかも女の子は4年生よりも短大生のほうが何事にも断然有利な社会状況でした。 お勉強も、それほど真面目にやっていなかった私にとってはかなり不利な条件が重なって、ますます、この先自分はどうなっていくのだろうかとか、本当は何ができるのだろうか、やりがいのある仕事って何なのと、毎日就職部に行っては、先生に相談していました。 これといって特技もない、22歳の私には初めての戸惑いでした。また、心のどこかで頼っていた父親の縁故というのも、このとき...

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彼らはこのエストネーションの立ち上げを一緒に考え、悩み、けんかしそれでもこの4年間近くやってきた二人です。 そもそも、Oさんとは、バーニーズの立ち上げの時に出会いました。 年齢は私のほうがかなり上ですが個人的にも彼と私のだんなさんが友人ということや、Oさんの奥さんもバーニーズの元社員の方だったこともあり、公私ともどもかなり親しい感じです。 また、もう一人が、彼の先輩であるYさん。 彼とは、私は今回のプロジェクトを通じて出会いました。 もともとOさんの先輩で、彼らは以前からとても仲良しだったようです。そんな3人が「大人が楽しめるお店がないよね。」「仕事をするときに着られる服がないよね。」とかお互...

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