男の人を異性として意識し始めた10代の終わり、ある人に出会いました。
少し偏屈で気難しいところはあったけれど、その頃の私には無口で優しく正直でまっすぐな性格がとても新鮮でした。学校の友達とは全然違う、少し影のある横顔、話し方、それでいて目に力のあるところにどんどん惹かれていきました。付き合うこと6年、家庭環境の差やその頃の彼の仕事を理由に、親に反対されても何度も目を盗んでは続けていた若い恋。今なら、自分の思いのままに進むほうを選んだでしょうが、その頃の私はそんなだいそれたことが出来ないような子でしたので・・・。そして、そんな彼から逃れるように安定した人を選び結婚してしまった私。
あれから20年、今までとは全くちがう世界に入り、日本を離れて行った彼。その彼から、突然の電話。話し方こそかなり丁寧すぎて他人行儀な感じでしたが、声、イントネーションは確かに聞き覚えのある懐かしい感じ。 母のこと、今の私の環境、話したいこと、聞きたいこと、確かめたい事など・・・、尽きることのない想いで胸がいっぱいでした。多感な時期に一緒の時間を誰よりも過ごした二人。一緒の時間を過ごすことだけで幸せだった、贅沢なんてしたいとも思わなかったし、できなかったけれど、ただ同じ空気の中に毎日いるだけで良い、そんな気持ちで過ごした6年間。束縛の多い、ヤキモチ焼きの彼にずいぶん悩んだ事もあったけれど、守られているという安心感、私しか見ていないまっすぐな彼の私に対する気持ちだけを信じて疑うことなんて一度もなかったものでした。
そんな彼との再会。20年近く離れていたこの東京と、私に会おうと思ってくれた勇気に感謝しながら、待つこと5分。白髪の混じった髪に優しい笑顔、20年間二人の間に何が起き何が変わったのか、会えたとたんに胸がいっぱいで考えることも出来ないほど、あまりにも懐かしすぎて涙をこらえるのがやっとでした。彼に負けない位の笑顔で話し始めれるまで、どのくらいの沈黙があった事でしょうか。
「表参道に立ったの20年ぶりだよ。本当に浦島太郎みたいでしょ?」その一言がどれほど暖かく嬉しく懐かしかったか?そして、20年ぶりに並んで歩いた10分の意味。二人にしか分からない思い、出逢わなかった日々を思い出しながら。
一生懸命仕事して、自分に正直に生きていて良かった、だから今日こんな素適な時間を持つことが、何もためらわず彼と出来たのですから。年を重ねることは、実は凄く素適なこと、毎日毎日を一生懸命に生きるってやはり忘れてはいけないことだったと。彼と別れてから何度も何度も確認した私でした。この次、彼に会えるのは、、、、いつのことでしょうか。
素敵な浦島太郎さんの背中に向って、「ありがとう」と言っていた私でした。
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