海の似合う女になりたい・・・。そうはじめて感じたのはたぶん、高校生の頃。
親の目を盗んで友人何人かと初日の出を見に鎌倉の寒くて暗い海に出かけ時、恐い気持ちと同時に力強い、あの大きな自然に自分が負けない人になりたいと感じたのは。
そして、海を見に行く事、水の側に行くことで、辛い時悲しい時、疲れた自分を何度も抜け出せたものでした。時間の流れと共に変わっていく海の色、空気感、砂の温度、そしてそれを見ながら、心が紐解かれていく気持ちよさ、自分ひとりで悩んでいたり考えていたことが何だか小さく見えてきて、“まだまだ修行が足りない足りない”と、自分で自分を励ましてきたその時々。時には、一人で都会からの逃避行だったり、家の側のちょっとした散歩の延長線上だったりと、さまざまな場面で過ごしてきた日々。そして、その海に似合う女になりたいと思う時には必ず浮かんで来る、ある場面(映画の中のワンシーンのような)。砂浜をゆったりしたニットにジーンズ、もしくは麻のイージーパンツやタンパンにTシャツやタンクトップで、またはコットンのワンピースをさらっと着て、のんびりと犬を連れたり、大好きな人と手をつないだりして歩いている自分を想像しています。何も話さなくても感じあえる人と、ゆっくりゆっくり自分の居場所を作れる幸せ、都会の雑踏の中ではなかなか出来ない事も、海の側だととても簡単にできる、そう思えるし感じれるから不思議です。心の中に流れている、本来の自分のあるべき姿、素直でやさしくて、前向きな思い、そしてそうありたいと強く望んでいる自分。 人を自然に愛し求める気持ち、手を伸ばす事、結ぶこと、触れ合うことが、海を前にしていると、いとも簡単できてしまうのが嬉しいし幸せな感じです。
海の似合う女になりたい・・・。の本当の意味は、そんな女の部分を忘れたくない、なくしたくないだったのかも。夏の海を見つめながらそんな事を、考えている自分がいました。
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