OLD midroom

30年ぶりの再会

先週、母の49日の法要で横浜の家に帰り近所の方や、母の友人の皆さんとお別れ会を家でしてきました。何故なら、お葬式を私の我侭で、身内のものだけで、しかも私の家の近くで行ってしまったので、母が晩年住んでいた横浜の皆さんにはご遠慮いただいてしまったものですから。今回、母の友人の方や、本当に今まで毎日彼女を近くで支えてくださった皆さんに、最後のお別れをしてもらおうと思ったからです。どのくらいの方が来て下さるのか、また私も久しく母のお友だちにお目にかかっていなかったのでどんな事になるのか、とても心配していたのですが、なんと100名ぐらいの母と同じぐらいの年齢の方や、同じように民生委員、婦人会、シルバーサロンをしていた方々が、手に手に、母の好きだった煮物や、おせんべい、フルーツ、お花などを持って集まってきてくださいました。

「本当にお世話になりましたね。」「仲良くしてくれて嬉しかったのよ。」とか、「みどりチャンも大きくなったわね。」と何だか話していると30年前にあの場所に引っ越した当時に戻ってしまったようでした。中学の頃の大親友の友人やそのお母様達とも久しぶりに会えて、本当に胸が一杯。何も構えず、娘みどりのままで皆さんにお目にかかれて、暖かくのんびりした気持ちになりました。若い頃は近所付き合いとか、苦手だしどちらかといえば面倒、うっとうしい事と思っていたのですが、地域のコミュニケーションのあり方、お付き合いの楽しさ、重要さを改めて見直した私でした。そして、母は早く元気になってこの家に戻り、また皆さんとお茶をしながら、「ああでもない、こうでもない。」と話せるようになることが一番の望みだったことも、つくづくこの皆さんの暖かく楽しい会話の中で何度も確認してしまいました。自分勝手に、一人ではもう住めない母だからと私の家の側に連れてきてしまったことが、良かったのか、悪かったのか。何も言わなかったけれど母の真意は…、そう考えさせられてしまった私です。 でも、母のおかげで私はまた横浜の近所の皆さんと再会し、勿論自分の大切な幼なじみの友人とも会えたしよかった、よかった。そして、これからも時々家に帰った時は皆さんと楽しい時間を過ごそうかなと、ワクワクしている自分がいたりして。

人間はやはり一人では生きられないもの、遠くで生活しているワガママな娘より近くの友人の方が心強かったり楽しいと感じて生活していたのでしょうね、母は。またまた、親不幸な娘だったと、思い知らされた私。
こうやって一つずつ学び、反省し遅まきながら大人になっていこうと深く感じた一日でした。
そして、またまた母に「ありがとう」と。

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