46才も余すところ、あとわずか。
私は、この自分の誕生日の少し前になると、なんとなく気持ちが落ちつかなくなるのです。毎年。若い頃は、そんなことは勿論なく、その時にとても大好きな人とどんな風に過ごそうかとか、彼は何をプレゼントしてくれるのかなとか、そんなウキウキする事ばかり考えていたのですが…。
40才を越えた頃から、この一年自分は何をしてきただろうか、考えていたことは出来たのだろうか、これから先しなくてはならないこと、できることは何なのだろうかと。ウキウキしてばかりいられない、とても焦る、落ち込むモードに入ってしまうのです。自分では毎日、何事も一生懸命にやってはいても、進まない事も多々あり、これだけスピードが求められる時代なのに、自分はそれに追いつけているのだろうか?または追い越してやれているものはあるのだろうか。と、とても不安になるからです。
そこで、いつもこの時期になると、本を読みあさる、気になる内容、悩んでいる事や自分と近い年齢の主人公が出ているものを読み始めるのです。恋愛、家族、仕事、経済、政治、老後……訳が分からなくなるぐらい買ってしまい、私のベッドサイドは山積み状態。その中で、今年は特に心にとても響いた文章が小池真理子さんの「浪漫的恋愛」という本の中にありました。主人公は46才の結婚して働いている編集者、その彼女がある本を作るために、打ち合わせに出かけた先で今は亡き、その作家の息子さんに出会う。 50才ぐらいの有名な建築家、そしてその彼と大人の恋が始まるというストーリー。ここまで聞くと、皆さんは何だか良くありがちな不倫の話ではと感じてしまうかもしれませんが、同じ年の私は、どうしても他人事には思えない節がいくつも文中にはあり、そもそもこの年で誰かをこれほど好きになることができるのだろうか、そんなエネルギー、そんな心焼き尽くすような状況なんて生まれるのだろうか。そして、そんな人との出会いが自分の生活を豊かにし、仕事に力を与え、生きていることが実感できるようになれるなんて。文中で「この年になって、この年齢になって、こんな気持ちになれて有難う。」そういう自分にしてくれて有難うと、二人が語るところが何とも、私を嬉しくて幸せな気持ちにしてくれたのでした。
1つずつ年を重ねることへの不安と楽しみ、精神的にも肉体的にも、その葛藤の中にいる私には、この本の中の46才の主人公がとても近しい人に思えたり、感じたりして。でもこんな精神状態の今、自分の中の女として、また人となりを再認識する良い引き金になってくれました。「まだまだじゃないの、これからも楽しい事がきっと待っているはず。人との出会いを大切に、自分の気持ちに正直に生きていけば、必ず新しい自分、やりたいことはやり遂げられるはず。」そんな気持ちにさせてくれたのでした「浪漫的恋愛」と言うタイトルも、最初は何だかかなり直接的で、ありがちな恋愛の話に思えたのですが、私には別の意味でもとても刺激になりました。
新しい年、47才を前にして。何だかいろいろと考えてしまうこの時期、不安定な私なのでした。
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