父が亡くなり、母が今のように具合が悪くなり外に出かけることもままならなくなったせいでしょうか、子供の頃のように親戚と会う、過ごすということが本当になくなってきました。若い頃はそれでも、従兄弟の結婚式や祖父母のお葬式などの冠婚葬祭もあり、何年かに一回はみんなで“ああでもないこうでもない”と話したりすることもあったのに、今ではその中心だった親の兄弟が一人亡くなり、二人亡くなりとなっていくと、ますます、その子供の私たち世代は生活環境の違い、仕事の忙しさなどを理由にまったくの疎遠状態。それでも従兄弟の中で一番年下だった私は、好きな従兄弟がいて、彼女とはよくご飯を食べたりしていました。でも、その彼女もダンナ様の転勤で大阪にいってしまい最近は、みんながどこに住んでいるのかも、まったく知らないかなり薄情な感じでした。ところが、先週祖父の23回忌という一大イベント?があり、母方の兄弟もそろそろこれがみんなにあえる最後のチヤンスかもと、親戚一同が全員揃う機会がありました。
そこでの話の内容と言ったら、本当に楽しい昔話の数々。
子供の頃、私は母が働いていたこともあり、親戚の家、おじいちゃん、おばあちゃんに育てられ、どこの家にも泊りに行ったり、遊びに行ったりしていた子供でした。ですので、私の成長や性格は、自分の親だけでなく親戚の皆が知っている、また作りあげてくれたようなもので、その日もでてくるでてくる、私の子供時代の我侭放題の話。でも、従兄弟のみんなは(私の従兄弟はみんな優しいし、辛抱強い男の子が多くて、それを許すことが当然のように思っていたらしい。)、年下の私を自分の妹のように思っていて、本当によく面倒をみてくれて、母の実家の千駄ヶ谷のおじの家などは、私自身、白金の家よりもずーっと好きで、ほとんど住んでいたような感覚。おじいちゃん、おばぁちやんの家を中心に、みんなの家をわがもの顔で行ったり来たり、何と従兄弟の小学校のプールにまで一緒に行っていたという、今なら考えられないような事までしていたらしいのです。そして、年下のくせに従兄弟を仕切っていたというのだから、本当に笑えます。 そういえば、子供の頃は、女の子の方が成長も早くて、元気だから、自然にこのようなことになっていたのだと思いますが、今聞くと何とも耳の痛い話ばかり。仕事をしている私ではない、自分の原点を思い知らされたような、何とも言いようのない愉快な内容の連続。でも久しぶりに心が和み、暖かい気分になった一日でした。
私には子供がいないこともあり、最近では血のつながりなんて言葉はめったに使わないし、意味もあまり考えたことがなかったのですが、この日ばかりは何とも… 久しぶりに子供に戻れて、みんなに甘えさせてもらった楽しい一日でした。
近いうちにまた、昔話でもしたいですね。
それまで、元気でいてください。叔父さん、叔母さん。
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