皆さんは、最近こんな経験をしたことはありませんか。
例えば、「おはようございます。」が、自然に言えない人、何かをやってもらっても「有難うございます。」が言えない人、人に迷惑をかけても「失礼しました。」とか、「ご免なさい。」という言葉が出てこないなど、何だか驚いてしまう事が良くあります。毎朝、電車通勤していても、平気で人にぶつかり何もないようなへっちやらな顔をしていたり、「失礼します。」と言っても全然よけてくれなかったり、周りに気を使う素振りもない、混んでいるのに真中にどーんと仁王立ち、何だか私の常識では考えられないような人、光景に毎日遭遇します。それも若い人ばかりではなく、きちんとした大人の人やキレイにお化粧した素敵な女性など、一体この人達はどんな風に育てられてきたのだろうかと聞きたくなってしまいます。子供の頃、親や学校で挨拶、礼儀、そして人に対する心配りや尊う気持ちなどを学ぶ機会は誰にもあったはず。もちろんその時は、面倒くさいとか、うっとうしいとか思った事はあったにしても、いざ自分が大人になり社会人になってみると、とても重要なコミュニケーションだったと改めて自覚したものでした。それが、最近はどうでしょうか。もちろん毎日忙しいし、自分のことで精一杯な事は分かります。でも何だかそれって間違っていると思いませんか。
海外に行くと、“excuse me” をいろいろな場所や場面で耳にします。
それは、多くの人種、国籍が住む社会構造の中では他人にぶつかるような些細なことで、命を落とすような事件にまで発展しかねないと、海外に仕事で行きはじめた時に教えられて驚いたものでした。まぁ、これはかなり極端な例かもしれませんけれど、何だかとても納得してしまったものでした。でも、本当に最近は自分ことしか考えていない、見ていない人が増えていてビックリ。だって必ずと言って良いほど、電車の中で必死にメイクをしている女の人はいるし、皆に見られていても、またどんなに混雑していても全然平気で自分の顔つくりに熱中しています。何だか周りにいる私たちの方が恥ずかしくなってしまって目のやり場にも困ってしまいますが、おかまいなし…。
これこそ自分しか見えていない、考えていない究極の光景。こんな状況に接するたびに何だか悲しい気持ちになるのは私だけでしょうか。もちろん、このような人すべてが仕事が出来ない、思いやりがないとは思いたくはありませんが、元来、大人というのは、周りの状況や自分の置かれている立場、そして人に対しての心配りができる人の事。そしてそれが出来て初めて一人前の社会人、大人の男・女として認められるのではないでしょうか。と、私は思っています。
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