OLD midroom

40代で考えていたこと、4

そんな感じで何人かの友人達とも、「本当に大人の行く店って何で日本にはないんだろうね」とか、「私が働く時に着たい服って何でないの、NYやMILANOに行けばたくさん見つかるのに、何で東京にはないのよ」と飲んでは話していました。
また、私の近くにいる友人も「そういうお店が出来たら絶対行きたい」とか、「買いたい」とか、「貴方の持っているそれが買えたら嬉しいのに…」と良く言われていました。
でも、これは本当に夢の夢で、一体いつになったらそれができるのか、また本当にそんなお店を作ってやっていけるのだろうかと、その頃はまだ何も具体的には考えていませんでした。

でも、その時、話していたメンバーの中では、どんどん夢が大きくなっていき、もう今すぐにでもそんなお店が欲しいという思いにかられていきました。
たぶん今までの私だったらここであせったり、イライラしたと思いますが、このときはあまりにも夢が大きすぎて、並大抵ではどうにもならないと思っていたからでしょうか、ゆっくりと考えなくてはいけないし、慌ててやったところでどうにもならないと観念していた感じでした。

そうしていくうちに、皆で話す回数がどんどん増えて来ました。
月に1回が2回になり、時には日曜日に誰かの家に集まってみたりと、語り合えば語り合うほど夢は膨らむばかり。そして、誰からともなく、「本当にビジネスプランでも作ってみようよ!そうしたらもしかして、どこかの会社や企業と組めるかもしれないし、誰かが同じようなことを考えているかもしれないし…」と話すようになりました。私は、このときは前にも書いたようにアルマーニで出張も多かったため、時々はごめんなさいをしてこのビジネスプラン会議に参加していない時もありました。でも、アルマーニの仕事をしながらも、常に皆とは電話で話したりはしていましたし、気になった事や、不安に思ったこと、考えついた事なども伝えていました。

今思うとこの時が一番大変だったかもしれません。何故なら二束のわらじ状態で、毎晩会社が終ってからの打ち合わせや海外から帰ったその日、地方から戻ってすぐなど、一日に2度働くような感じ。頭がうまく切り替われなかったり資料を揃える時間が足りなかったりと、追い込まれている日がかなり続いていて楽しいけど、苦しいそんな日々でした。

あれから、ちょうど4年、2000年の9月、サザビーの子会社としてエストネーションがスタートしました。最初は、一室に3人で机を置くのが精一杯の小さなスペース。遂に始まったという感じで毎日毎日、3人でとことん話しあったり、新しいお店、気になるお店を見て周ったりしていました。
そして、ここ有楽町、丸の内、大手町のオシャレなビルにこっそり覗きに行っては、そこのOLの人、ビジネスマンの人が何を着ているのかを観察したりしていました。(変な人達だと思われていたかもしれませんね。)

そして、徐々に新しい仲間も増えた1年後の2001年9月1日、有楽町にエストネーション1号店がオープンしました。
今までとはまったく違う、自分の考え、経験を最大限生かした新しい会社、お店、組織。
東京から世界に向けて発信していく、そんな志を持って。

    つづく

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