○○ジャパンでの仕事は、何事においても予想していた以上に本国との交渉に時間がかかりました。それは、時として何も分かっていない日本のことを言われるのですから、とても傷つく時がありました。
「何故日本に住んでいない人にそこまで言われるの」とか、
「日本とアジアのマーケットで本国の売上を支えているんじゃないの」とか、
何だか納得のいかないことばかり…。そして自分の役目は単なる窓口業務になるような気もしたり。やる気が半減してくる時もありました。またアルマーニは店舗もとても多いですし、ブランドも多い。その上それぞれが、もう日本に上陸して10年以上もたっているので、それを新しいイメージに変えていくのは並大抵ではありません。
お客さまの中で常に新鮮なアルマーニを印象づけることが必須ですし、新しい顧客開拓もしなくてはなりません。でも、それが、私のこの時にやりたかった仕事でもあったのです。ですから、現場にはかなり積極的に出かけましたし、営業の人とも話し合う時間を作りました。そうしないと、現状が分かりませんし、お客様が見えてこないのも嫌なので。また、どの会社でも、物を売る側とイメージを守る側は、どうも対立しがちです、私はこのように、一つの会社の中で対立したりするのが嫌ですし、それではいいものも作れないととても強く思っていますので、この関係の修復にもかなり努力しました。でも、このことについては、営業の方もそう思っていましたし、お店の方もそう感じていましたので、それほど難しいことではありませんでした。そういう意味では、みんなが考えていたことが同じだったのでしょう。こうして、常に新しいアルマーニ、帝王としてのアルマーニ・スタイルを頭に置きながら仕事をしていました。
そんな忙しい状況の中でしたが、私は時々夢を見始めていました。それは、やはりお客さまに近い環境で働きたい、できれば1から考えて作った大人の楽しめるお店、そして自分の着たい服や働いているときに自分らしいオシャレがしたいと思い出したのです。たぶんその理由は自分が40代になり、大好きなブランドのアルマーニで働いていてもそのことが解消されなかったからかもしれません。
その上、イタリアやN.Y.に行けば行くほど、何故日本には働く時にいい素材で着心地も良くて女らしいものがないのかと感じるようにもなっていました。もちろん値段も含めて適正なものが、もっとあってもいいのではとも思っていましたし、セクシーな大人の女の人にも、もうそろそろなりたかったし…。そんなことを考えたりしていました。もちろん自分の個人的な希望として。
そしてこの頃の私は、とても“おしゃれをもう一度楽しみたい病”にもかかっていました。
それはどういうことかと言うと、アルマーニに移ってから、もちろん毎日アルマーニを着て働いていました。それももちろん自分の仕事の一部と考えていましたし、好きでしたので…。でも何かが違う、本当の自分のスタイル、自分らしいスタイルやコーディネートをもう一度探したい、そうしないと何だか自分が止まってしまうような気がしていました。メークやヘアースタイルもそうですが、年をとるとコンサバになってしまう、それがとても恐かったし、それにはもう一度ファッションの現場に戻りたいと考えだしてもいました。だってまだ、40才を少し超えたばかり、おばさんになるのは悲しいし…。
まぁ、こんなことを考えながら、忙しくも楽しく毎日を元気に働いていました。
つづく
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