犠牲にしていることや、出来ていないことが働いているとどうしてもいくつかあるということを、書いたことがありますが、今から4年ほど前の11月、私にとってはとても驚くことがおきました。
それは、母のガンでの入院でした。
私の母は、何代目かの江戸っ子で、本当に元気で明るく強い、弱音を吐いたことのない人です。仕事もしていましたけれど、家のことで手を抜くこともありません。父親もかなりのワンマン、それにも上手に仲良くやっている、その上、週に3回の美容院でのセット、いつもきれいにお化粧もしていましたし、マニキュアもとても気を使っているそんな人です。
ですから、私に対しても女の人は汚くてはいけないとか、品が悪いのはだめとか、肌の手入れが行き届いていない、髪の毛もだめなど、かなりいつも厳しいチェックです。そんな彼女が、いつもならば週に一回ぐらいは電話してくるのに、(この時は、私もアルマーニに移ったばかりでばたばただったこともありますが、彼女のことはすっかり忘れていたのですが、)ちょうど、アルマーニ氏が帰国したその日の午後、久しぶりに電話がかかってきたのです。
「無事に、終わってよかったわね。お疲れ様。ところで、私は今、入院しているの、たぶん検査と言うことでいるのだけれどガンだと思うので時間が出来たら来てくれない。」と言う事でした。私は、目の前が真っ暗になりとにかく、病院に向かいました。そこでまたまた、驚くことがありました。「○○号室の家の者ですが」というと、「娘さんはいらっしゃらないとお母様からは聞いています。カルテにも連絡先は、近所の親戚ですし・・・。」と看護婦さんも不信のまなざし、私は、「兄のことも母は何も言っていなかったのですか」とあまりのショックで尋ねると、「はい、どなたもいない、自分で全部なさると言われてましたので。」
何でなの、私はだんだん悲しくなってきて、母の病室に行き、彼女に聞いてみたのです。すると、「だってあなたは、会社を変わったばかりだし、兄には私に話してから言うつもりだったし」と平然と言われてしまったのです。そして翌日、私と兄はもちろんお医者様から呼び出しを受け、今後の対策を相談しました。その時も母のカルテには、必ず告知をして欲しい、自分で決めたいと書かれてありましたので、途中からは母も含めて話し合うことにしました。そして、もちろん全て決めたのは彼女自身でした。
そのときの、自分の微力さと本当にこのまま母親が死ぬようなことがあれば、あまりにも親不孝の連続をどうしたら言いのだろうかと、本当にあせってしまいました。
私は23歳の時に父を無くしていますが、そのときは子供だったので失うことはとても悲しいと言う気持が先行していましたが、この時はそれとはまったく違い何か出来る事はないのか、このままだったら、本当に昔から言われているように、“親孝行したい時には親なし”そうなりたくない、そんな気持で一杯でした。
皆さんの中にも、たぶんこういう経験や気持になられた方はたくさんいらっしゃるとおもいます、本当にこのときほど自分が情けなく感じたことはありませんでした。
そして、母親の強さには到底かなわないなともおもったものでした。
あれから、4年、母もずいぶん、元気にはなりました、でも以前のようなわけにはいかないらしく、のんびり暮らしています。そして、私はますます忙しくなり、会えない日々がまた増えてきています。ほんの1時間ぐらいの距離なのに。一体いつになったら、彼女を安心させ、また喜ばすことが出来るのでしょうかと、最近考えてしまうのです。
そして、やっと少し余裕が出来た頃に、こんな風になる、人生とは皮肉なものです。
ですから、皆さんも、後悔しないために親孝行を思う存分することをお薦めします。
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