床の間のある奥の部屋に、母がひな祭りの歌を歌いながら七段のひな壇を組み立て、その上に真っ赤な毛氈を敷き、一人一人に丁寧にお道具を持たせたり、ひなあられや和菓子、菱餅を並べたりするのが、あの頃の私と母にとって、楽しくて仕方のない時間でした。
母は戦争で大事にしていたお気に入りのお人形さんや着物、すべてを空襲で失い、とても寂しくて悲しい思いをしたと、昨日のことのように私に毎年話してくれました。
そしておいしくて色鮮やかな、ちらしずしをみんなで食べるのが嬉しくて、楽しかった夜。ひな祭りの夜ご飯の時には、女の子が生まれると健康でやさしい子に育ってほしいという気持ちがこのお雛様には込められていると、何度も祖母や母から聞かされたことも今では懐かしい思い出です。
三人官女や五人囃子、右大臣に左大臣、そして雑用係の仕丁の三人を並べながら、子供心にみんなの顔がいつもニコニコ笑っているように見えたものでした。
母との楽しい会話や私に対するあたたかい思いがたくさん詰まったお雛様を、今では一人で並べて飾りながら、子供のころには気づかなかった家族からのあたたかくて愛おしい私に対する大きな愛、やさしい気持ちを感じて胸が熱くなるそんな時間でもあります。
それと同時に今年も元気で幸せに、この日を迎えられお雛様を飾れることに感謝しながら、私と同じ年のお雛様とこれからも大切に歳を重ねていきたいと思っています。

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