東京に生まれ、育った私にとって家族、親戚の居場所(集まるところ)が、母の実家のあった千駄ヶ谷二丁目。子供の頃から慣れ親しんだその場所には、祖父母、父母、母の兄弟と家族に加えて歳の近いいとこと過ごす楽しくて、昭和な思い出がたくさん詰まっていて、まさに夕陽が丘三丁目のような映像が頭に浮かびます。白金の官舎に住んでいた私は、優しくて、いつも可愛がってくれるおばちゃんが誰よりも大好きで、自分の家にいるよりこの千駄ヶ谷の祖父母のそばを離れたくない、そんな子ども時代でした。
東京オリンピック前の砂利道をいとことみんなで走ったり、転がったりしながら、いつも楽しく笑い転げていたあの頃。何故か不思議と広かった玄関 (土間)では、そのころ流行していたローラースケートの練習にみんなで熱中したり。
夏休み中の庭先では、おじいちゃん、おばぁちゃんを囲んでいとこのみんなで冷えたスイカにかぶりつき、夜はそこで花火をしたり、何をするのも、みんなが集まるのもあの千駄ヶ谷の家でした。
祖父母の家と、叔父の家が二軒、いとこは私も含めて皆で5人。夕方に叔父が仕事から帰ってくると、円卓を囲んでみんなでテレビを観ながら楽しい夕ご飯も本当にあの映画そのものでした。決して贅沢なものを食べていたわけではないけれど、料理上手のおばあちゃんや叔母の手料理がおいしくてワイワイ毎日が宴会のようでした。
国立競技場にも、とても近い祖父母の家では東京オリンピック前まではこんな風にのんびり過ごしていましたが、1964年10月のオリンピックを機に東京は大きく変化し、遊んでいた砂利道はもちろん舗装され、地下鉄の開通、新幹線や高速道路の完成と、めまぐるしい変化に目を見張ったあの時の事は子供の眼からみても驚きとともに豊かな日本、新しい東京に変わっていった楽しい時代でもありました。
家のテレビも白黒からカラーになり、新しい家電製品が家にもどんどん増え、いつの間にか生活スタイルもアメリカナイズされ、新しもの好きの父は8ミリまで買って撮影したり映写会をしたりと週末はその撮影のために家族全員でお出かけ(笑)なんていうのが増えた時代でした。
そして、私にとっては二度目となるオリンピックがここ東京でスタート。延期されていたTOKYO2020がこのような状況下でも開催されることになり、何とも複雑な気持ちで私たちは開会式を迎えることになりそうです。(これを書いている時は7/20でした)
いつもならこの時とばかりに愛国心いっぱいで大好きな競技を応援したり、涙することが多いスポーツ観戦好きの私にとっても今回のオリンピックをコロナの感染拡大の中でどこまで楽しめばいいのか悩みます。
それでも、この日を迎えるために努力を重ねた世界中のアスリートの方を応援するために、テレビの前に座りましょうかね。
そして、今回のTOKYO2020が無事に安全に終われることを心から祈っています。
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