父が亡くなり、30年以上の月日がながれ、時どき父に大人になった私を見てほしかった、また彼の大好きで得意だったゴルフを一緒にしたり、美味しいもの美味しいお酒を酌み交わしたかったと思う時があります。
23歳、大学を卒業して、すぐの別れだったので父と娘の関係でしか過ごしていなかった時間が、この年になると何故か残念で、もっと長生きしてほしかった。もっといろいろ話たかったし、教えてほしかったと思ったりして。
昔の父は、強くて怖くて優しくまっすぐの仕事人、役人として新しい日本、東京を改革し高度成長の波にも乗り、実に大胆に楽しそうに毎日仕事をしていた男義そのもののような生き方を今、思い出せば謳歌していた?ように感じます。
そんな父と母、そして私が過ごした家を一年半前に処分した時にも、彼の撮影した写真や子供のころ流行した8ミリにも、そんな家族の思い出や性格が鮮明に残っていて本当に笑ってしまうシーンにもたくさん遭遇したものでした。
仕事の話、野球、ゴルフ、得意だった水泳の自慢話しも楽しくて、父のひざの上で何十回、聞いたことやら、、、そしてそれと同様につらく悲しかった戦争に学生時代行かなくてはならなかったことなどを、何もわからない私にも語って聞かせてくれた父、その顔はいつになく暗く、平和しか知らない私にはわからないことだらけでもありました。
そして、今週そんな父の軍隊手帳が見つかりました。
家を片付けるのを手伝ってくれた、親類が持っていてくれたもので、、、それを手にした時、父がどのような思いでこの手帳を胸に戦地に行ったのか?
戦争とは一体、どれくらい悲惨でつらい、苦しいものだったのか・・・・と。
戦争のことは、あまり深く語ってくれなかった意味は?思いは?娘であり平和な時代に生まれてきた私、私達に何を残し伝えたかったのか?
この衝撃の父からの贈り物は、何を私に伝えたかったのでしょうか?
父ともっとたくさん話しておきたかった、、、今だったらわかることも多いのにね、
お父さん。
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