彼女の書く小説は、私の恋愛観を刺激し、多くのシーンや人までもダブり、彼女と私は、もしかしたら同じ人を好きになっていたのかしら??なんて思ってしまう時があるくらい。
一言一言、一行一行が、頭の中で映画のワンシーンのように蘇るから不思議です。
私は、厳格な父に育てられた事もあり、弱音を吐くことがとても苦手。
悩んだり、迷った時の解消法は、本を読むこと(紙に印刷された活字の本を読むこと。)
わたしのその時の悩みと似たような題材の本を買い、その世界に入り込む。
まるで自分のために書かれたような、その本、その主人公に自分の迷いや、悩みを投影してページをめくっていくうちに、わたしの悩みもいつの間にか消えていく。
そんなことの繰り返し。
だから、というわけではないけれど私は原始的な、紙の本、人のぬくもりを感じられる本が好き。 (電子書籍とかはどうも苦手です)
今回のような事が起きた後は余計にその思いが強くなった。
一番頼りにしたい時に、繋がらない携帯電話やメール。
そして、今やその携帯のアドレス帳に記憶されているからと、大切な人の電話番号さえも覚えない、そんな状態の私、私達?
便利だから、緊急な時には必ず役に立つ文明の利器と思っていた物は、実は何も役に立たなかった。
人は昔のように大切な人を自分の足で歩いて探す、紙とペンがあれば、そこに一番伝えたい事を伝えたい人に書く、残す。
その一枚が一言が、人の心を家族の気持ちをつなぎ、安心と幸せ、そして希望に繋がる。
そんな当たり前のことを忘れていた、昨今。
きっと地球が私達に伝えたかった、本当の幸せ、人として大事な物、人、事何だったのかを忘れるなと、、、、爆発してしまったのかな?
でもなにも、こんなに多くの人を巻き込まなくても良かったのに、それほどまでにして伝えたかった事があったのかな?
なんて思ったりもする、私。
家族はどんな時でも、一緒にいるのが一番幸せだし。
生まれ育った街、人は自分の人生、かけがえのない仲間だったはずだし。
忘れていたことがあまりにも多すぎた、、、、、、
この数日で、私も含めて、多くの人は本当に何が大切か、何をするために私達は生きているのか?を改めて考えさせられたはず。
生きている人は決して一人ではないという事。
また、普段は気がつかないでいたけれど世界中の人が支えてくれている、支え合っているという事実。
言葉が人を救う、音楽が勇気を与える、花や森の木々のような美しい自然、美味しい食事は、心も、身体も元気にしてくる。
そんな、一つ一つを当たりまえの事だと思わず、大切にしたいものです。
あまりにも便利な事、贅沢に甘え過ぎていたのかも、、、しれませんね。
皆さんはどう感じていますか?
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