人によって価値観はかなり違う、、、と感じることがよくあります。
例えば、食事に対しての好みや金額、物を買うときの値段や選び方、、、、、
ともかく自分でお金を払う、使うことになるとその差がはっきりと出てくるから不思議。
それは年齢や性別とも違うし、その人の価値観や生き方、育てられ方にもつながる、そんな感じ?
結婚するときや、付き合い始めたときに拘ることの一つに、この価値観はよくあげられる重要なポイントだけれど、やはり拘ること、感じることを共有するのは楽しいし難しいのかなーなんて思ってしまいます。
特に最近の私は食事のことを例にとってみるとどこにいっても年齢が一番上ということもあり、ご馳走するのはあたり前?と自分でも、周りにも思われているのかもしれないけれど、たまには皆で割り勘したり、たまにはみんなにご馳走して欲しい、、なんて少しけちかもしれないけれど、世の中お互い様ってこともあるんじゃないの?なんて古臭い、悲しい気持ちになってきてしまいました。
私の、両親の時代は何かをもらったらすぐに返す、または次回は必ずお返し。なんていうのがあたりまえだったし。
本当によくそんなこともしていたのを見ていたからでしょうか。
そう思うと世の中が変わったのかな?なんて思ったりします。
でも、このことだけでなく人には感謝の価値感。
親しいなかにも礼儀あり、、なんてことはやはり人付き合いの基本。
それが出来ないと公私混同して何が何だか分からなくなってしまうこともおきてしまうはず。
すごく疲れた関係になってしまいますしね。
考えれば考えるほど、難しい、この価値感=人付き合い問題。
自分の思うようにならない事はもちろん知っていますが、、、、最近気になることの一つ。
皆さんはどう感じていますか?
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Comment [1]
僕が感じていることは・・・
おこがましいのですが、、、日本人の「らしさ」「こころ」という醸成されてきたものが失われつつあるような気がします。
きっと、、、
・開国して文明開化を経ながら西洋化を推し進め、
・戦後教育で自由・平等・民主主義をまなび、
・高度経済成長で物質的な豊かさを得て、また追求していく中で、
いつしか本質的な情緒的・普遍的価値観:「思いやり」「おもてなしのこころ」が取り残されてしまったのかもしれません。
そんな僕が大切にしていること。
修学旅行で京都に行った際、東山にある青蓮院というお寺で聞いた法話はいまでも心に刻まれています。
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大切な五つの心
一、 はい という素直な心
一、 すみません という反省の心
一、 おかげさまです という謙譲の心
一、 させていただきます という奉仕の心
一、 ありがとうございます という感謝の心
よき心の灯で一隅を照らそう
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当たり前のことだけど、これがなかなか難しい、、、
でもこんな心の在り方でいることで、ほか人にやさしくなれて、またそのやさしくされた人がほかの人にやさしくなれる。
そんなこころの連鎖が生まれたらうれしいなと思い、また生み出せる信じて毎日過ごしてます!
ちょっと長くなってしまいました、、、すいません。
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